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苑内に奉納された慰霊碑
内閣総理大臣 吉田茂閣下直筆の書が刻まれた昭和26年の揮毫(キゴウ)。
グアムの日本人1世53名によって建てられた記念碑。
(社)日本青年会議所 会頭 浅利治による永遠の平和を祈る碑(1937年6月17日)。
陸軍軍曹中川氏によって建てられたグアム戦没者慰霊碑(1974年7月21日)。
苦戦が続くグアム戦で勇戦敢闘を続けた石井部隊長以下780名の慰霊碑(2001年3月4日)と第13師団先遣隊の慰霊碑。
八景山慰霊団建立の経塚、サイパンのバンザイクリフにも同様の経塚があります。
第755海軍航空隊附 海軍中尉 吉田祐次郎(23才)の追善菩提。
第5海軍病院戦没者の碑と海軍少尉岩村勝英の碑。
総司令官第一次 杉本豊少尉と第二次 亀井凱夫少尉他約80名の碑と関西テレビ放送が建立した慰霊碑。
塚本清彦中佐の生涯をたたえ、戦友の松前重義氏が建立した慰霊碑。
1994年7月25日夜間戦闘で連隊長以下の大部分が戦死した歩兵第十八連隊戦没者慰霊碑。
北満洲からグアム島守備隊に転進し昭和19年9月に英霊となられた独立自動車第265中隊158柱の永遠の冥福を祈り建立された鎮魂の碑。
隊を分割して中部太平洋方面の各地に分散・駐留第四気象隊戦没者の慰霊碑。
社団法人日本青年会議所研修室の洋上スタッフによる植樹パネル。
主力爆撃機隊として、終盤にマリアナ・パラオ戦線で哨戒・攻撃行動に従事第521海軍航空隊 鵬部隊の慰霊碑。
海城満州第340部隊高木隊13名の慰霊碑。
徳島県神社庁による慰霊祭記念植樹の碑。
南太平洋平和慰霊公苑
合掌をモチーフした慰霊塔は高さ15メートル、昭和45年5月に完成。
慰霊公苑は日米両国の友情の絆が一層深まることを願って建設されました。
緑豊かな慰霊公苑の敷地は42,000平方メートルに及びます。
マリンコードライブから南太平洋慰霊公苑へ入る角はバス停が目印です。
バナナ、サワーサップ、スターフルーツなど、苑内には南国の果樹が植えられています。
慰霊塔の下には祭壇、地下は納骨堂があります。
慰霊塔には慰霊公苑設立の経緯や思いを記したパネルが日本語と英語で記されています。
慰霊公苑前では慰霊塔と同じ合掌のモチーフの石碑が迎えてくれます。
大型バスも駐車できる広い駐車場もあり、開苑時間は午前8時から午後5時。
開苑時間外はゲートが施錠されているので開苑時間を確認しておでかけください。
マリンコードライブの角を曲がり真っ直ぐ進むと公苑入り口に繋がります。
慰霊公園脇の竹やぶエリア
いくつもの壕が残るうっそうとした竹やぶ。
1944年8月11日未明に旧日本軍の60余名が自決。一つ目の壕。
1944年8月11日未明に旧日本軍の60余名が自決。二つ目の壕。
多くの日本兵が自決した洞窟の前に立つ平和への願いを込めた碑が建っています。
第31軍司令官小畑英良中将が60余名の将兵と自決した壕の歴史を日本語と英語で伝えています。
1944年8月11日未明に旧日本軍の60余名が自決。三つ目の壕。
壕の前には慰霊に訪れた人のお供え物が置かれています。
1944年8月11日未明に旧日本軍の60余名が自決。四つ目の壕。
日本軍の飲料水槽。小川の水を貯水した水槽跡。
高さ1メートルほどある正方形の水槽が2つ並んでいます。
小川へ続く竹やぶ奥の急な階段への入り口。
小川の脇に残る小さな水槽。
今では水量も減っているが、年中山からの水が流れています。
戦時中の遺品を収めた我無山平和寺
故人や先祖を供養する塔婆が祭壇に飾られています。
祭壇の中央にはグアムの大木イフィットの台座に仏像が位置しています。
修学旅行でグアムを訪れた中高生の千羽鶴が献納。
壕内から見つかった戦時中の遺品の数々。
缶詰が積み重なった状態で朽ち果てています。
壕内から見つかった通信機器のパーツの数々。
昭和57年(1982年)9月3日に行われた平和寺落成式の模様。
白を貴重とした厳かな平和寺の内部。
南国の日差しに浮かび上がる祭壇上のステンドグラス。
慰霊で訪れた人々が故人の冥福を祈って備えた塔婆や仏像など
サイパン陥落後、第31軍司令部を指揮した小畑英良中将。
南国の木々や花々が彩りを添える我無山平和寺は苑内の中程に佇んでいます。
南国の木々の木漏れ日に荘厳な姿を讃える我無山平和寺。
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